五福星

第１７回

おっかさんが絶叫する「コバヤシ、コバヤシ！」に、人間の小林先生の怒りが心頭に発しました。

「貴女もとんだお人ですな！ついさっきまで人をなだめるような口ぶりだったのに、何秒か後には私をおバカ呼ばわりするとはっ！偽善というか慇懃無礼というか、う～～～ん、何とも無礼な人だ！」
怒る小林先生におっかさんが
「いえ、違うんですよ。小林先生。コバヤシっていうのは、ラーメン屋をやっておりますうちの不出来な息子の飼っている犬の名前で･･･」
と言うと、小林先生はますます怒ってしまいました。
「な、なんと！人間の姓を犬に付けるとは！無礼なことこの上ない！人類を代表して名誉棄損で訴えますゾ！」
と、大げさなことを言い出す始末です。するとその時、居合わせた尺八吹きのオッサンの一人が、こういう場合は言わないほうがよさようなことをへらつきました。
「いや、小林先生。私、その犬、テレビで見ましたよ。ラーメン屋で暴れまくった汚い顔をした犬！」
「な、なんと！その犬は汚い顔をしているのですか？ムムムム･･･。ますます持って無礼千万！」
「テレビではコバヤシ君と呼んでいましたが」
「なんと！犬に君付けして呼ぶとは、日本も終わりです！」

こんな調子で小林先生と他の客人との間で第三者から見ればバカバカしい会話が交わされている間に、おっかさんはまずはコバヤシのウンコを処分してしまわなくてはと思っていました。なにせ、名前だけでこれだけ人間の小林さんが憤慨しているのです。ましてや、犬が自分が持ってきた笹蒲鉾を食べて、それが引き金となって押し出すように床の間にウンコをしてしまったとは、食物繊維の研究家小林先生の日々の研究に水を差すことになってしまうかもしれません。これ以上怒らせてせっかくのお弾き初め会が喧嘩の場になってしまっては困ります。おっかさんは皆に見つからないようにコバヤシのウンコを処理するにはどうしたらいいか考えました。そして、おっかさんがほぼとっさに取った行動とは･･･、
まずは着物と帯の間に潜ませておいた匂い袋を取り出して、袋の口を開けました。そして、その中に入っている匂い粉をパッパッとウンコにかけたのです。その後すぐに懐から懐紙を取り出すと、それを何枚か重ねてウンコを包むようにして床の間から取り除けました。幸いなことにその時のコバヤシのウンコは硬めで取りやすかったのです。
包みを手にしたおっかさんは、懐紙を持った時のいつもの癖でそのまま懐に入れてしまいそうになりましたが、さすがにハッと気づいて、包みをすぐさま袂に隠しました。この一連の動作、言葉で表すと長くなりますが、普段から着物を作業服として着慣れているおっかさんがすれば、あっという間に完了するしぐさなのです。
そうして、おっかさんは皆がわけのわからない議論をしている間に部屋の出入り口の戸を開け放ち、ついでに廊下や階段の窓も開けて、そのまま１階にすたすたと降りました。そして勝手口まで急ぎ、戸を開けて外にポン！
おっかさんはようやく一息つくことができました。
しかし、まだ安心できません。もしも臭いが自分の着物についていたら、今度は自分が玉子焼きの臭いの下手人にされてしまいます。何も知らずに犬のウンコの前に座って臭いの元と勘違いされ、おまけに犬と同じ名前だったことで憤慨する小林先生は本当に気の毒ですが、だからと言って、その悲劇の元を自分が肩代わりして被ってあげようとは思いません。おっかさんはコバヤシのウンコを入れておいた袂の臭いをクンクン嗅ぎました。もしこの様子をおやじが見ていたら「何や、おふくろ。犬になったのが？」と言いそうな光景でしたが、幸いバカ息子は不在。おっかさんは匂い粉の匂いしかしないのを確認すると、再び２階へと向かいました。
途中、階段の側の目立たない所にペットの消臭スプレーが置いてありましたが、おっかさんはそのスプレーを目になり、思わず自分にかけてしまいました。

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