「何や、犬なんか連れできて。おれが犬猫嫌いだっつうの、おめえ知ってっぺ？それとも、忘れたのが？あ、そうが。そうなんだな。やっぱりおまえは死んでんだ（死んでるんだ）。だがら、この世のことわがんねえんだな」
おとっつぁんがコバヤシを見るなりこんなことを言い出しました。おやじは即座に反論。
「いい歳こいで何ほざいてんのや？犬っつったって、こいつなんかこんなに小せえべ。あんたの嫌いな毛だって、あんたの髪の毛より少ねえど。それにや、まだ小犬だど。こんな小せえもの見てカワイイって思わねえのが？ほ（そ）れってよぉ、人間的に足んねえってこどでねえが？」

おやじが自分の不出来を棚に上げてエラそうに説教を始めたので、おやじと話を続けることに嫌気のさしたおとっつぁんは
「うるせえ！おれは疲れだがら寝っと」
と言って、自分の部屋に入ってしまいました。おとっつぁんは自分の気にそぐわないことがあるといつもこうやって逃げてしまうのです。

「お母さん、すみません。あたしが至らないばっかりにうちの実家追い出されてしまって･･･」
嫁の立場を自覚するかみさんはおっかさんに謝りました。すると、おっかさんは
「あら、あなたのせいじゃないんでしょ。どうせ、こっちのおバカのせいに決まってるじゃないの。こいつ、子供の頃からトイレから出ても手洗わないし･･･、中学生の時だってブラスバンドに入るっていうからトロンボーン買ってやったら、ブカブカ吹くだけ吹いて手入れしないから、トロンボーンの管の中にたまった唾がヘドロになって、腐ってしまったのよ。ホントにどうしようもないヤツなんだから、こいつは」
と、かみさんを慰めるつもりもあったのか、それとも、ただ単に文句を言いたかっただけなのか、おやじの悪口を言いだしました。これを聞いて、勉強はできないけど口の立つおやじが黙っているわけがありません。
「何や、おふくろ。おれの出来が悪いのはあんたたちのせいだべ？あんたたちが優秀だったらおれはこんなになんねえはずなのや。自分たちの不出来を棚に上げで子供の悪口言うなんて最低だべ？それだげでねえど。おれにはあんたらに損害賠償請求する権利あんのや。わがっか、おふくろ。おれをこんなに不出来に産んでしまって苦労させてしまったのはあんたなのや。オヤジにも責任あっけどや。んだがら、おれさ（に）申し訳ねえと思ったら、お詫びけろ！」
「何がお詫びなの、このバカ息子！よくもそんな屁理屈、思いつくもんだね」
「いいがら、話逸らすな。とにがくな、あんたらは親としておれさお詫びしなくてねえのや。んだげんと、金けろとは言わねえんだ。せめて、この家さ住まわせろっつってんのや（と言ってるんだ）。どうせおれの部屋、そのままになってんだべ？あんた、人の目につくとこ以外は掃除しねえがらや」

いちいち癇に障ることばかり言うおやじにおっかさんはマジに怒りだしそうになりました。と、その時でした。おっかさんの足元が急にくすぐったくなったのです。変に思ったおっかさんが足元を見ると、コバヤシが小さな身体でおっかさんの足首にすがり、身体全体を使ってスリスリしていたのです。
「あら、この犬、カワイイこと。オホホホホホホホ･･･」
ちょっとでも環境が変わるとすぐに気の変わるおっかさんは、おやじにムカついていたのを即座に忘れてコバヤシを抱き上げました。
「あら、あんた。変な顔してると思ったけど、よ～～く見てみると、味のある顔してるじゃないの」
「んだべ、おふくろ。人間だって美人は飽きるげんとブスは飽きねえっつうべ」
「オホホホホホホホ･･･。ホントにそうだねえ。バカな顔してるけど愛嬌があって･･･。だけど、バカ息子に似てると思うと可愛くなくなるよ」
そうは言いつつもおっかさんはコバヤシを気に入った様子でした。かみさんはこのまま話が丸く収まることを期待しつつ二人の様子を見ていましたが、まぬけなおやじはまたしても余計なことを口走ったのです。
「なあ、おふくろ、覚えてっか？おれが幼稚園の時やぁ、夏におれを銀行さ連れで行ったごどあったべ。あん時やぁ、おれ、おふくろの足さほっぺたスリスリしたべ。おれ、こいつがあんたの足さスリスリしてんの見で思い出したのや」
おやじがここまで言った時、おっかさんの顔がにわかにこわばりました。
「ちょっと、あんた。これ以上言ったら、すぐにこの家から追い出すからねっ！」
事情を知らないかみさんは一体何が起こったのかと心配になりましたが、もし事情を聞けば、思わず「ヘヘヘ･･･」と笑いそうな話なのです。そんな、ヘヘヘな話をかみさんに聞かれたくなかったのか、おっかさんは話をごまかそうとして、コバヤシに言いました。
「ねえ、ちょっと、あんた。この家に少しの間だけでも住みたかったら、あたしじゃなくて、お父さんの許可もらってらっしゃい。ハイ、お父さんのお部屋、そっちだから」
ごまかすことに懸命なおっかさんは、コバヤシを手から降ろすと、おとっつぁんの部屋に向けて立たせました。すると、まるでおっかさんの言葉がわかったかのように、コバヤシは短い足を懸命に使っておとっつぁんの部屋に向かって歩き始めました。そして、部屋の前までたどり着くと、「ふぁんふぁん」とさえない声で吠え、尻尾と一緒に腰を激しく左右に降り始めました。これを見て、短絡的で自己中心的な発想のおっかさんが言いました。
「あら、ねえ、お父さん。犬が呼んでるわよ。この犬、さっき抱いた時に見たらメスみたいだけど、オホ、オホ、オホホホホホホホ･･･。
お父さんに気があるんじゃないの？こんなに腰振って。よかったわねえ、お父さん。若い女の子にモテて。オホホホホホホホ･･･」

というわけで、この後もいろいろありましたが、コバヤシを気に入ったおっかさんのおかげでおやじ夫婦はおやじの実家で少しの間、夜露をしのげることになりました。しかし、言うまでもなく、これは新たなトラブルの始まりだったのです。そして、どんどん知恵をつけていくコバヤシも、やがておやじの敵となり始め･･･。

ところで、おっかさんがかみさんに聞かれたくなかった昔話とは･･･

おっかさんが夏に幼稚園児だったおやじを連れて銀行へ行った時のことでした。待っている間に退屈したおやじは遊んでくれそうな若い女性を物色していたのですが、あいにくその日はおんつぁんとおばんつぁんしかいませんでした。つまらなくてたまらなくなったおやじは、あることを思い出し、わざとらしくおっかさんの足に顔をすり寄せて、こんなことを言ったのです。
「お母さんの足、お髭痛いね！」
この一言で、銀行の中にはむせぶような笑いが充満し、おっかさんの担当だった窓口の女子行員は笑いをこらえるのにかなり苦しんだのでした。スネの毛深さは自分のせいではないとはいえ（親の産み方が悪かった！？）、恥ずかしかったおっかさんは用が済むとすぐにおやじの手を引っ張って銀行の外へ出て、「このバカっ！」とゲンコツを食らわせたのでした。
おやじは子供の頃からいい加減な性質をしていましたが、変なところで観察力が鋭く、夏になるとおっかさんが毎朝おとっつぁんの髭剃りでスネ毛を剃っているのをしっかりと見ていたのです。